【岩手・矢巾】人身事故を生んだ中2男子いじめ事件の加害者は?

2015年7月5日、岩手県矢巾町のJR矢幅駅で人身事故が発生しました。中学校2年生の男子生徒が、いじめを苦に電車に飛び込んだものと見られています。
今回のいじめの加害者は誰だったのか?いじめを生んだ背景には何があったのか?見ていきたいと思います。

◆いじめた同級生

事件の直接的な加害者は、当然ながらいじめを行った同級生ということになります。
同級生たちは「仲間外れにする」「死ねとかバカとか何回も言う」「髪を掴み机に顔を打ちつける」「後ろから頭に向けてバスケットボールを投げぶつける」などを行っています。
ビートたけしさんは著書で、「いじめ」という言葉を使わずに、「暴行罪」「脅迫罪」「恐喝罪」で処理すべきだ、と指摘しています。
刑事事件に発展するかどうかは別として、いじめを実行した同級生は、犯罪行為を行ったと認識して、大いに反省すべきです。

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◆傍観者の同級生

被害生徒の同級生は、「クラスの他の生徒たちは、かかわりたくないので距離を保っていた」と証言しています。
「見て見ぬふりをする傍観者も加害者だ」と指摘する声もありますが、いじめられている子を助ける行為は、次のいじめのターゲットが自分に向かうリスクがある行為です。
友達を守れない子供たちも辛い気持ちで過ごしており、傍観者を非難するわけにはいかないでしょう。

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◆女性の担任

今回の事件では、《生活記録ノート》でいじめ被害を訴えていた男子生徒に対する、女性担任の対応に批判が集まっています。
例えば、「太ももを罰ゲームといって蹴られます。カバンを屋上からばらまかれました」との訴えには、『あまりはしゃがないでちゃんと勉強しないとダメですよ!』と応じています。
「もう氏(死)にたいです。しにばしょはきめてます」に対しては、『明日からの校外学習、がんばりましょう!』と完全スルー。
「先生にはいじめの多い人の名前を教えましょう」には、『上から目線ですね』とトンチンカンな返答を繰り返しています。
《生活記録ノート》への返答も不適切ですが、いじめのサインが繰り返し出されているのに、一人で抱え込み、学校全体の問題として共有しなかったことが、担任としては最も不適切であったと言えます。

◆まとめ

見てきたとおり、周囲の人間の不適切な対応が悲惨な事件を生んでいますが、最も責任が問われるべき加害者は、「学校」であり、「教育委員会」であり、「教育システムそのもの」であると思います。
懸念するのは、女性担任に対してメディアやネット上での批判が集中し、校長までもが「報告がなかった」として女性担任に責任を転嫁していることです。
学校などは組織的に対応できなかったことを反省し、部下である女性担任を守らなければ、第2のいじめの犠牲者を生んでしまう結果となりかねません。
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コメント

  1. ななし より:

    この教師 相当ずるいです
    まず生徒の先生として失格です
    かくれんぼは教師として失格です 教師の説明責任を果たして下さい
    教育委員会はこの先生に記者会見させるべきです
    もう二度と先生として教壇にたつべきではないと思います
    まず被害者にお詫びにいってください
    列車にとびこむ子供の気持ちがどんなにつらいか考えて下さい
    そしてそれをテレビで報道してください 担任教師は子供の気持ちが全くわかっていない
    先生になるべきではなかった
    今後この田舎町が少し改善されることを祈ります 田舎のいじめは最悪です 
    声をあげれば町中でむしろいじめます だから過疎化になるのです
    ゆえになるべく適正人数になるよう中学校同士の合併 町同市の合併が必要です
    田舎者は心がきれいじゃないです 失礼なこと平気で言うし、悪い者が勝つ世界です
    田舎者を採用すると会社の内部もめで業績は下がる一方 もうお断り 弱い者に責任転嫁するし・・ 
    被害者のご冥福をお祈り致します
    先生がしっかりしてないからいじめが起きるのです
    安心して子供を預けられません 
    子供の未来を思って学校にやってるのに死んで帰るなんてとんでもありません
    不登校させてる方がよいようです。
    アメリカでは学校に通わせない人が多いのです
    親は体裁より子供の命を守ることを考えて下さい 
    通わせないのが一番安心かもしれません
    教師のモラルが改善されることを望みます 

  2. トンボ より:

    コメントありがとうございます。
    この教師は一方では「良い先生だった」という評価があります。
    この評価は嘘ではないのでしょう。
    想定内で動いてくれる、ほとんどの生徒にとっては良い先生であったに違いありません。
    しかし、この教師は、想定外の事態に対応する能力が決定的に不足していました。
    本当の「良い先生」とは、すべての生徒にとって「良い先生」でなくてはならないのです。
    それは、本当に難しいことだと思います。
    教師というのは、とても重要で、とても難しい職業なのです。
    個人的には、報酬などを引き上げて、官僚や医者や弁護士に流れている人材を、教育分野に振り向けるべきだと思います。

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