埼玉朝霞・行方不明少女の『家族』~父・母・娘の空白の2年間

行方不明事件

2014年3月から行方不明になっていた、埼玉県朝霞市の少女が、無事に保護されました。

今回は、事件に巻き込まれた少女と、その家族の2年間にスポットを当て、ご紹介したいと思います。 

◆本人の中学校は?

今回の事件で行方不明になっていたのは、「朝霞市立朝霞第三中学校」に通っていた女子生徒です。

年齢は、行方不明当時13歳でしたが、その後、誕生日である1月15日が2回経過したため、15歳になっています。

少女は、2014年3月10日(月曜日)下校途中に行方がわからなくなりました。

その日は、放課後に習い事のエレクトーンと塾に行く日だったため、少女は部活を休み、家が近い友人と家路についています。

160328_埼玉朝霞・行方不明少女の家族
(イメージ画像)

午後3時45分頃、自宅前で10代ぐらいの男性と話しているところを近所の人が目撃したのを最後に、姿を消しました。

携帯電話や財布も持たず、私服を持ち出した形跡もなく、制服姿のままであったと思われます。

少女は、それまでに一度も家出をしたことはなく、遊びに行くときには「誰と・どこへ・何時頃帰る」の連絡を必ずしていました。

行方不明直前の週末も、また、当日の朝も普段と変わった様子はなかったということです。 

◆実家・父親の職業は?

行方不明になった少女のお父さんは、現在46歳で、職業は一般企業に勤めるサラリーマンです。

クリスマスには、お父さんがお手製のチキンを振る舞い、みんなで食べるのが家族の恒例行事でした。

少女の失踪後、お父さんは仕事を2カ月休み、ビラ配りなどに時間を費やします。

活動の輪は広がり、2014年6月には有志らが「○○さんを捜す会」を発足し、SNSサイトなどで情報を発信。

朝霞市長の呼びかけで、関東1都6県の計357市町村の広報紙や公式サイトなどにも情報が掲載され、これまでに配ったビラは8万枚を超えます。

ただ、「もう会社に迷惑はかけられない」と、お父さんは仕事に復帰し、空いた時間を活動に充ててきました。

お父さんは杏花の味方。いつまでも待っている

仕事や生活をして私の時間は流れたが、○○との時間は止まったまま

お父さんは、折れそうになる心を奮い立たせ、必死に娘を探してきました。

そして3月27日、無事に少女保護。 

今後は、娘との2年間の空白の時間を取り戻すべく、ゆっくりと時間を掛けて娘との時間を過ごしていきたいと思います。

お父さん、2年間お疲れ様でした。

これからは、家族でゆっくりと失われた時間を取り戻してほしいと思います。 

◆母親の年齢は?

行方不明になった少女のお母さんは、現在42歳です。

お母さんは仕事を持っており、失踪当日は午後5時ごろに帰宅しました。

家も学校もちょっと休みたいですしばらく友達の家ですさがさないで下さい

お母さんは、ポストに少女とよく似た筆跡でのメモ書きを見つけます。

「変なイタズラかな」と不審に思いながら玄関を開けると、いつもあるはずの少女のスニーカーがありません。

室内を探しても娘の姿はなく、学校に電話をかけましたが、副担任の返答は、 

最後のホームルームまではいましたよ。帰ったはずですが…

思いつく連絡先に電話をかけ、近所を探し回っても見つからず、午後8時前に埼玉県警朝霞警察署に届け出ました。

その後、捜索は難航しましたが、「いつでも帰ってこられるように」と少女の部屋は、いなくなった時のまま。

お母さんは、前からの習慣で、失踪後も少女の部屋で眠り、少女の帰りを待ち続けてきました。

そして迎えた2016年3月27日。

午後0時10分ごろ、自宅の電話が鳴り、電話を取ると「お母さん」と呼びかけられ、声の主は娘の名前を名乗ります。 

えっ?

驚きのあまり、お母さんが言葉を詰まらせていると、相手は再び自分の名前を口にしました。

お母さんからの呼びかけに、本人だと答えます。

警察で母娘は、2年ぶりの涙の対面を果たしたという事です。

自宅に戻り、2年ぶりに、一緒に寝ることはできたでしょうか?(^.^) 

◆まとめ

3月15日は、少女が通っていた中学校の卒業式が行われました。

少女の発見は、卒業式には間に合いませんでしたが、中学在籍中に、無事に保護することができました。

3月27日は、少女にとって、家族にとって、卒業式以上に忘れられない、大切な日となったことでしょう。

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