2017年12月7日、東京都江東区の富岡八幡宮で殺人事件が発生しました。
「深川の八幡さま」として390年の歴史を誇る神社で、一体何があったのでしょうか?
◆宮司を務める姉
この事件の被害者は、58歳になる女性宮司。
実の弟に日本刀で首や胸を深く切りつけられ、死亡しました。
弟は元々、富岡八幡宮の宮司を務めていましたが、2001年に宮司職を辞めさせられています。
この経緯に姉が関わっていたのでしょうか。
弟は、
“積年の恨み。地獄へ送る”
などと書いたはがきを姉に送りつけて脅迫し、2006年に逮捕・起訴されています。
その後、姉は2010年ごろ、父親の退任に伴い、宮司職に就任。
この時も神輿総代幹部や神社本庁などに、姉のあらぬ噂を書いた怪文書がばらまかれていました。
弟の仕業であるという証拠はありませんが、みんなそう思っていたそうです。
姉の宮司は、何か感じるものがあったのでしょうか。
2017年8月2日にブログを開設し、一日も休まず毎日更新していました。
10月8日には、
“車庫に勝手に出入りしたり、私の父親の骨董品を数十点盗みだし、骨董屋さんに売りさばいていた泥棒がいた”
という理由で、社用車にドライブレコーダーを設置したことを報告。
11月28日には深川警察署に行ったことを記述し、
“私達にとって、警察は正義です。正義でなくてはならないですよね”
とコメントしています。
事件発生の約6時間前に投稿された最後の記事には、
“先般もある神社の神主が、私を呼び捨てにして、体を触り、手まで握り、腰に手を当てたので、私はハッキリ拒絶して、『いい加減にして下さい。』と言った”
と書かれ、事件とは関係ないところでも、セクハラで悩んでいた様子が分かります。
◆犯人の弟
この事件の犯人は、56歳になる宮司の弟。
2001年に宮司職を辞めさせられたという弟は、素行が悪いことで有名でした。
学生時代のあだ名は『ボンちゃん』。
ボンボンの意味であり、勉強もスポーツもできませんが、お金だけは持っているためこう呼ばれていました。
大学進学後は、お金で釣った悪友をボディーガードにつけるようになった弟。
当時を知る人は、
“移動はいつも車で、18歳のときには外車のリンカーンを乗り回していた”
と証言しています。
宮司になってからは毎晩銀座を飲み歩き、賭け事も含め、月に100万、200万円というお金を使いました。
そうしているうちに、神社本庁に収めるお金を使いこみ、宮司をクビになります。
しかし神社からは、退職金として結構な額が支払われたそうです。
女性にだらしなく、結婚と離婚を繰り返し、最近はどこに住んでいるのかも分からなかったという弟。
お金も底をつき、自暴自棄になったことから、最後の凶行に至りました。
姉を殺害し、共犯の妻も殺害した後、自らも命を絶っています。
◆弟の息子
犯人の弟は、犯行直前、全国の複数の神社に手紙を送付していました。
手紙では、関係者に対して姉を神社から追放し、自分の息子を宮司に迎えることなどを要求。
“実行されなかったときは、死後においてもこの世に残り、たたり続ける”
と記していました。
これで宮司になれたとしても、息子は嬉しくないに違いありません。
◆弟の妻
この事件の共犯者は、49歳になる弟の妻でした。
弟の妻は、姉の運転手の男性を約100メートル追いかけて、刃渡り45cmの日本刀で切りつけています。
男性は右腕などを切られ重傷ですが、命に別条はありません。
この後、妻は弟に刺され死亡。
女の身元がなかなか分からなかったのは、弟が女性にだらしなかったためでしょうか。
実は弟の妻は、現場の富岡八幡宮から30メートルほど離れたマンションに隠れて住み、双眼鏡で姉の行動を監視していました。
部屋には、警察や報道関係者にあてた12月1日付の遺書が残されていました。
◆まとめ
富岡八幡宮は、2017年に神社本庁から離脱しています。
その理由は、先代宮司の父親が2010年に退任した後、7年にわたって姉を宮司として認めなかったためです。
家族のトラブルや女性差別など、世の中の不条理と闘っていた宮司の姉は、ブログにこう綴っていました。
“修業をするためにこの一族に生まれ、何度も死にたいと思う苦しみを乗り越えて、ここを修業の場だと思う事で、人生が舞台に見えて来たのです…”
天国の舞台でも、素晴らしい役柄を演じてほしいと思います。
◇編集後記
富岡八幡宮は、江戸最大の八幡宮で、江戸勧進相撲発祥の地としても知られているそうです。
江原啓之神紀行(5) 関東・中部 (スピリチュアル・サンクチュアリシリーズ) [ 江原啓之 ]
名門の神々は、後世の宮司を務めた人間の所業を、如何に思っているのでしょうか?
コメント