日航機墜落事故 【まとめ】 いつ、どこで、何が、起こったのか?

また、「8.12」が来ました。
犠牲者数520人と、航空機事故史上、最悪の被害を
出した日本航空機123便の墜落事故。
事故から数十年たち、記憶の風化とともに、事故
そのものを知らない方も増えてきていると思います。
ここに、事故の全容を簡潔にまとめ、いまだ謎が残る
事故を記し、何が起こったのかを考えたいと思います。
日航機墜落1.jpg
◆いつ、起こったのか?
事故が起きたのは、1985年(昭和60年)8月12日
月曜日、午後6時56分です。
夕方のラッシュの時間帯に加え、お盆の帰省ラッシュ
が重なったため、123便はほぼ満席の状態。定刻の
午後6時を少し遅れて飛び立ちました。
墜落した午後6時56分という時刻は、くしくも、
本来であれば目的地空港へ到着する予定であった
時刻です。
◆どこで、起こったのか?
123便は羽田発伊丹行きでした。
本来のルートは、羽田を離陸後南西に進み、伊豆大島
から西に巡航、和歌山県串本町上空で北西に旋回し、
伊丹に着陸するというものでした。
しかし、実際には相模湾上空で異常事態が発生し、
正常なコントロールを失った123便は富士山東麓を
北上します。
山梨県大月市上空で急な右旋回をしながら、急降下
した後、一旦は羽田方面に向かうものの埼玉県上空
で左へ旋回。
最終的に、123便は群馬県南西部の山岳地帯へと
向かいました。せめて市街地は避けようという
判断なのでしょうか。
墜落現場は、群馬県多野郡上野村高天原山系の無名の
尾根です。当初、近隣の「御巣鷹山」と報じられた
こともあり、現在では「御巣鷹の尾根」と呼ばれて
います。
◆だれが、関わったのか?
123便は乗務員15名、乗客509名、合計524名が
搭乗していました。
機長は、総飛行時間が10000時間を超えるベテラン
であり、指導教官でもあった方です。
副操縦士は、機長昇格訓練のため、この日は機長席
に座り操縦を行っていました。
事故により乗務員は全員亡くなりました。
乗客も505名が犠牲となりましたが、奇跡的に4名の
女性の命が助かっています。
1人は移動のため搭乗していたJALの客室乗務員。
そして乗客の34歳と8歳の母娘、それに家族と
搭乗していた12歳の少女です。
犠牲者の中には、歌手の坂本九さん、女優の
北原遥子さん、ハウス食品社長の浦上郁夫さん、
阪神タイガース社長の中杢肇さんなどの著名人が
含まれていました。
◆なぜ、起こったのか?
垂直尾翼.jpg
事故調査委員会は、事故の根源は、後部圧力隔壁
の強度不足による損壊としています。
損壊部分から客室内の空気が機体後部に流れ出し、
機体尾部と垂直尾翼の破壊が起こったというもの
です。
さらに4系統ある油圧パイプがすべて破壊された
ことにより、作動油が流れだし、操縦機能を
失ってしまったと結論付けました。
しかし、この結論には、レコーダーの内容や生存者
の証言から、多くの疑問が投げかけられています。
◆まとめ
事故に関して一貫して感じることは、政府機関や
事故調査委員会が、災害救助や真相解明に消極的で
あったと感じることです。
自衛隊や警察は、救助活動の開始に13時間もの
時間を要しました。
海上保安庁は、相模湾に落ちた垂直尾翼のうち
7割を回収できませんでした。
調査委員会は、事故報告がレコーダーや生存者の
証言と矛盾する点を無視しました。
このような姿勢が、多くの疑問を生み、生じさせ
なくてよい誤解を生じさせているのではないで
しょうか。
520名もの犠牲者をだし、航空機史上最悪の事故
なだけに、二度と同じことが繰り返されないように
真相を究明し続けなければなりません。
犠牲者の方々の御冥福を、心よりお祈りいたします。

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