2月11日は建国記念の日です。
しかし、国民の祝日として多くの人々が休みを享受しているにも関わらず、何の祝日かもわかっていない人が多いのはなぜでしょうか?
日本青年会議所の調査
2015年1月、日本青年会議所が調査を行った調査では、日本が建国された日を知っている日本人は2割未満という結果が出ました。
同じ質問を国内在住の外国人にしたところ、中国人は100%、アメリカ人やカナダ人でも9割超の人が「自国の建国・独立の日」を正しく答えたということです。
この調査結果からは、日本人の建国に対する意識の低さが浮かび上がりましたが、このような結果が出るのは以下の3つの理由があります。
1.由来の古さ
そもそも建国記念日は、戦前は「紀元節」と呼ばれ、古来、神武天皇が即位した日を日本の建国された日としていました。
しかし、神武天皇の即位は紀元前660年と言われており、歴史の古さから当時の記録や科学的な根拠は明確ではありません。
比較して、アメリカ独立は1776年、カナダが自治権を獲得したのは1867年、毛沢東が天安門で中華人民共和国の樹立を宣言したのは1949年です。
青年会議所の調査では建国された日を質問しているため、日本に比べ建国が新しい国々の方が明確に回答できるのは当然とも言えます。
2.祝日制定の経緯
紀元節は戦後、「紀元節を認めることにより、天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威となるのではないか」というGHQの意向で廃止されました。
しかしその後、紀元節を復活させようという動きが高まり、1957年には自由民主党から建国記念日制定に関する法案が提出されました。
しかし、この法案には当時の旧社会党が猛反対し、国会で暴行事件が起こるなどの混乱を経て、ようやく国民の祝日となりました。
このように、戦後の占領政策や国内でも一定数の人々が賛成していなかったという経緯があったことが、「建国記念の日」の認知度が低い理由となっています。
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3.学校で教えないこと
戦後の教育制度はGHQへの配慮が残っており、小学校や中学校で「建国記念の日」について教えることはほとんどありません。
歴史の授業は、遺跡や土器の発掘を手掛かりとする考古学から始まり、飛鳥時代を分岐点として歴史学に転ずるため、建国の経緯が曖昧になるという問題が指摘されています。
お隣の韓国では、人物を中心とした歴史教育がなされており、歴史の1ページ目には建国の祖「檀君王倹」が登場するそうです。
建国の由来が教育制度から意図的に外されていることは、今回の調査結果と無関係とは言えないでしょう。
まとめ
実は、祝日の名称は「建国記念日」ではなく「建国記念の日」です。
建国記念日を反対する勢力に配慮し、「の」の字を入れることによって、「建国されたという事象そのものを記念する日」であるとも解釈できるようにしたのだそうです。
この妥協は人間の知恵なのでしょうか、それとも行き過ぎた配慮なのでしょうか?「の」の存在を知らない人も多いと思います。
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