2015年4月22日、俳優の萩原流行さんがバイク事故のため亡くなりました。萩原さんの生涯と「顔」の移り変わりを追いかけてみたいと思います。
◆バイク事故当時の「顔」
バイク事故が発生した4月22日の午後6時ごろ、片側3車線の青梅街道には激しく雨が降っていました。
萩原さんは、愛車である883㏄のハーレーダビッドソンで真中の車線を走っていましたが、左から車線変更しようとしたワンボックスカーと接触して転倒し、後ろから来た乗用車に胸をひかれたとみられています。
萩原さんの死因は心房破裂と見られますが、事故直後、フルフェースではないヘルメットをかぶった萩原さんの顔を見ると、「口の両側から血を流していた」ということです。
稀代の役者の最期の「顔」は、どのような表情だったのでしょうか?
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◆役者としての「顔」
萩原流行さんと言えば、特に初期は火曜サスペンス劇場などの犯人役や刑事役と言った出演が多く、ミステリードラマの「顔」と言える俳優さんでした。
また、タレントの神奈月さんのモノマネレパートリーとされていますが、逆に神奈月さんとプロレスラーの武藤敬司さんのモノマネをしたことがあり、ユーモアな「顔」ものぞかせています。
刑事役では殉職してしまう役柄もありましたが、萩原さん本人は、大好きなバイクと共に旅立ってしまいました。
◆夫としての「顔」
萩原流行さんは、夫婦ともにうつ病を患い、二十数年という長い期間うつ病と闘って来ました。
最初に発症したのは、妻で女優のまゆ美さんの方でしたが、当時俳優として名が売れていた萩原さんは、外に女性が出来て家庭をまったく省みなくなっていました。
しかし、まゆ美さんが発症して4年後、自らも躁鬱病と診断されてからは、二人三脚で病気と向き合ってきたといいます。
病気の妻をフォローする、しっかり者の夫の「顔」という訳ではありませんが、それでもまゆ美さんにとってかけがえのない優しい「顔」だったのではないでしょうか。
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◆躁鬱病を乗り越えて
まゆ美さんは、「私たちは20代で“夫婦”になり、30代はうつ病という“戦友”になり、40代はいいバランスで“双子”になり、50代になってお互いの心がつながった」と語っています。
萩原さんが亡き後も、病気への理解を深める活動で頑張ってほしいと願います。
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