2016年4月14日、熊本地方は震度7の地震に見舞われ、大きな被害を受けました。
今回は、そんな中で助かった、小さな命をご紹介します。
◆生後8ヶ月の女児が無事救出!
地震発生から6時間以上経過した、4月15日午前3時40分ごろ、暗闇の中から歓声と拍手が上がりました。
「おー、やったぞ」
最も被害が大きかった熊本県の益城(ましき)町で、倒壊した家屋から、生後8カ月の女児が無事救出されたのでした。
そもそも女児は、どういう状況で災害に巻き込まれてしまったのでしょうか?
◆父親
乳児の父親は、地震の時、この家屋にはいなかったようです。
「母親が家族を連れ里帰り中だった」という事なので、地震が平日に発生したことを考えると、父親は別行動だったのでしょう。
遠く離れた場所で、恐らく祈るしかなかったであろう父親の、その思いは神様に通じたのでした。
◆母親
乳児の母親は、33歳。
地震が発生したのが、午後9時過ぎであったので、恐らく女児を寝かしつけて、実家で一息ついていたところだったのでしょう。
そこに震度7の激震が襲い、家屋が倒壊し、女児だけが取り残されてしまいます。
当然、母親は女児を必死に助けようとし、1階部分の隙間から手を伸ばすと、女児の手に触れることはできました。
姿を見ることはできませんでしたが、名前を呼ぶと泣き声がします。
赤ちゃんが取り残された!
通報で現場に駆けつけた警察官や消防隊員らによる、救出作戦が始まりました。
◆兄
女児には、4歳になるお兄ちゃんがいました。
4歳ならば、地震のことが将来の記憶として残ることでしょう。
その記憶が、最悪の悲しい記憶とならなかったことが、救いだったと思います。
◆実家の祖父母
乳児の母親の実家には、60歳になる祖父と祖母がいました。
祖父母が住む実家の家屋は、地震であえなく倒壊し、1階部分が押しつぶされ、2階も大きく傾いていました。
その家屋の中で進められた救出劇。
発見された女児のすぐそばには、直径約50cmの太い「はり」があり、女児は「はり」と屋根の間のわずかなスペースにいたそうです。
「救出活動中も余震が続き、不安でたまらなかった。無事に助かって本当に良かった」
祖母はこう話して、涙ぐんでいました。
◆まとめ
今回の救出作戦に直接関わったのは、熊本市東消防署の2名の隊員でした。
大きな余震が続く中での、命がけの救出劇。
わずかに聞こえる泣き声を頼りに、2階の屋根から、女児がいる1階の場所を、ピンポイントに掘り当てました。
助け出された女児は、数年後に話して聞かされることでしょう…
勇敢に戦ってくれた、2人の隊員の姿を。
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